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大阪高等裁判所 昭和45年(う)619号 判決 1971年4月26日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審訴訟費用中証人阿見憲二に支給した分および当審訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

<前略>

控訴趣意について

論旨は要するに、本件公訴事実については被告人に共同加害の目的があつた点を含め犯罪を証明するに足りる十分な証拠があるのに、原判決は被告人に右目的のあつたことの証明がないとして無罪の言渡をしたのであつて、ひつきよう原判決は証拠の取捨選択ないしその価値判断を誤りひいて事実を確認したものであつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで、当裁判所の判断を示すと、それは次のとおりである。

一、原審および当審で取調べた証拠によると、次の事実が認められる。

1  被告人は、公訴事実摘記の日すなわち昭和四三年一〇月二一日ががいわゆる国際反戦デーであつて同日を期し各種革新団体により大阪市御堂筋においていわゆる御堂筋デモが行われることを知り、総評またはべ平連主催のデモに参加するつもりで、その集合場所である扇町公園(大阪市北区所在)へ赴くべく、当日京都市内の下宿先を出て阪急電車を利用し午後六時過頃ひとりで梅田駅一番ホームに到着下車し、改札口へ向う途中、同駅三番ホームで約一二〇名の学生集団が四、五列縦隊に隊列を組んで集会を開きリーダー達が演説しているのを見ていた。

2  右学生集団は全学連中核派の集団であるが、被告人もその集団員の多くが「中核」と書いてあるヘルメットを被つていることから、右集団が全学連中核派のそれであることを知つた。ところで、被告人(当時立命館大学経済学部に在学中)は、もともと中核派に属するものではなかつたが、右学生集団も扇町公園に赴くものと思い、自己が同公園への地理不案内のため、同集団に追従して同公園へ赴こうと考え、同集団から少し離れたところで、その集会の模様を見ていた。そのうち、右集団の中から拍手が起つたので、被告人は何事だろうと思つて同集団の最後尾辺りに行つたところ、ちようど中核派学生約一一〇名が別の電車で同駅四番ホームに到着し右拍手に迎えられて下車しつつあるところであつて、これらの学生は直ちに三番ホームに赴いて先着の学生集団に合流し、ここにその集団員の数は約二三〇名に達したが、その際被告人も右集団の隊列の中に加わつた。その間、別の電車で木の角材(証第一号とほぼ同様のもの)約二〇〇本が三番ホームに運び込まれていた。

3  やがて、ヘルメットを被つていない集団員達に「中核」と書いてあるヘルメットが配られたが、その際被告人もその一個を受取つてこれを着用した。次いで前記角材が配られて来たとき、被告人は、一度はこれを受取ることを断つたものの、「持つているだけでよいのだから」といわれたので、現に集団の隊列に伍している立場上からも拒み切れずにその一本を受取り、間もなく他の集団員から「角材を替えてくれ」といわれて右角材を渡して代りに証第一号の角材(約四センチメートル角で長さ約1.5メートル)を受取り、続いて配られた軍手一双をはめたうえ、右角材を手にしたまま隊列に加つていた。その間、「石を拾え」というリーダーの声に応じて線路上に降りて石塊を拾う者も幾人かあつたが、被告人はその状況を見ただけで、自らはその挙に出なかつた。

4  かくして、その殆んどがヘルメットを被り角材を手にし中には石塊をも携えた者もある約二三〇名の学生集団は、四、五列の縦隊となつて隊列を組み梅田駅正面(南側)改札口を通つて駅構外の歩道に出たうえ、さらに歩道と車道とを画する柵(以下安全柵という)を乗り越え、続々と車道に飛び出したが、被告人も隊列先頭から三分の二くらいの処に伍しながら安全柵を乗り越えて車道に出た。その頃先頭付近にあつて車道に飛び出した集団員らは、そのまま南へ御堂筋へのデモ行進に移ろうとして、曾根崎警察署前交差点で阻止線を張つていた大阪府警機動隊にその前進をはばまれたため、右阻止線を突破すべく機動隊員に向つて激しく投石しまたは所持の角材をふるつて同隊員に殴りかかる等の行為に及んだが、大盾を構えた機動隊の反撃に遭つて、集団員の多くは北方に逃げた。被告人は前記のように安全柵を乗り越えて車道へ数歩出たものの、集団員の多くが逃げるのを見て、共に逃げ、安全柵切れ目を通つて西側(阪急梅田駅側)歩道に上つて約一〇〇メートル北へ逃げた。その頃集団員の中には「止まれ、止まれ」と叫んで退却を制止しようとする者もあり、これに応じて、一旦は北へ逃げた集団員中約百二、三十名は南へ戻り、車道上で再び隊列を整え、北進して来た機動隊員に向つて投石、角材をふるう等の暴行を加えたが、検挙活動に出た機動隊に逐次規制されて四散した。

5  被告人は、前記のように北へ逃げるうち、「止まれ、止まれ」という声を聞き、かつ集団員の多数が車道上で隊列を整えようとしているのを見たので、角材を手にしたままその場から引き返えし、歩道上を約四〇メートルを南進したが、車道上の集団員が機動隊に規制されるのを見、自らも逮捕の危険を感じ、同歩道上を再び北へ約六〇メートル逃げ、たまたま歩道ぞいに阪急百貨店納品場への通路のあるのを知り同通路内に他の集団員約一〇名とともに逃げ込んだものの、通路途中に立入禁止の表示のあるのを見て引き返えし歩道に出たところ、検挙活動中の機動隊員の姿を認め、北へ約二〇メートル逃げたところでつまずいて転び折から駆けつけた機動隊員阿見憲二に逮捕された。そして被告人は、梅田駅三番ホームで前記のとおりヘルメット、角材、軍手を受取つてからは右逮捕に至るまで、終始、ヘルメットを被り軍手をはめ角材を携えていた。

二、ところで、検察官がその所論において、援用する証人阿見憲二の原審証言によると、警察機動隊の分隊長である同人は、他の機動隊員とともに当初曾根崎警察署前交差点で阻止線を張り、襲いかかつて来る学生達を排除しつつ北進したところ、学生達が一旦逃げ出した後再び隊列を整えて襲いかかつて来たので、これを押し返えしながらコマ劇場南西角前の車道上(同証人は、当審においては、この地点についてコマ劇場に小路を隔てて南接する北野劇場北西角前車道の東側部分にあるマンホール付近といい、それは同車道を隔てて前記阪急百貨店納品場への通路の入口に相対する位置にある)まで進んだとき、五、六名の学生が右阿見を含む機動隊の隊列に立ち向い、機動隊員の構えている大盾を角材で突いたりこれを振り上げて殴りかかるなどしたが、その中に被告人も居て、被告人自身機動隊員の大盾を角材で二、三回突いた、その時検挙命令が出たので、阿見はすぐその場から逃げる被告人を約三〇メートル追い、被告人が西側歩道に上つて間もなく倒れたので、これを逮捕した、というのである。しかし、被告人がそのように機動隊員に直接暴行を加えたとの右証言部分は、これを否定する被告人の供述と対比し、容易に信用できない。けだし、被告人は、逮捕された日の翌日以来捜査官の面前および原審公判廷を通じ、終始直接暴行の事実を否認し、自己の行動については一貫して前記一にそう供述をしているのであり、殊に元来現場付近の地理に暗い被告人が前記阪急百貨店納品場への通路へ逃げ込んだ旨供述し、しかもその通路の状況について述べるところは実際に符合しているのであつて(司法警察員西山正一作成の事実確認捜査復命書参照)、これらの事情はすべて被告人の供述の信用性を担保するものというべきである。特に被告人が右納品場への通路へ逃げ込んだ事実を動かし得ない以上、そこから西側歩道に戻つた被告人がさらに相当幅広い車道の東端付近まで駆けて行き機動隊に攻撃を加えるということは、被告人が後記の如く内翻足であることをも考え合わせると、到底あり得ないことと思われる。他方、阿見証言についてみると、同証人が被告人を暴行者の一人と認めた事情は、結局、前記暴行犯人五、六名のうちに、一人だけ覆面をしていない背がやや他の者より低くいくらか小肥りな男が目についたので、その男の行動を注視していた、検挙命令が出たので、逃げ出したその男をその場から約三〇メートル追つて倒れたところを逮捕したが、被逮捕者は被告人であつた、との二点に尽きるのである。たしかに、被告人は、当時ヘルメットを着用していただけで他の多くの集団員のようにタオル等による覆面はしておらず、また、その背恰好も右にいうところと似ている。しかし、当審において取調べた被告人の検察官に対する昭和四三年一一月二日付供述調書添付の写真(特に錦巡査撮影の写真No.24、25)によると、学生集団にはヘルメットのみを着用し覆面はしていない者が少なからず加わつていたことがうかがわれ、そういう背恰好も必ずしも被告人にのみ特有のものではない。しかも、被告人は先天性内翻足でその歩行に顕著な特異性が認められ(このことは当裁判所の現認するところである)。従つてその走行ぶりには一層顕著な特異性が現われるはずであるところ、逃げる被告人を約三〇メートル追つたという阿見証人は右特異性については全く気づいていないようである。また、阿見証人がコマ劇場前または北野劇場前での前記暴行に際し現認した犯人がそのいうとおり五、六名に過ぎなかつたにしても、当初約二三〇名にも及ぶ学生集団であるから、その後の攻防の過程で少なからぬ脱落者があつたことを見込んでも、なお右暴行犯人らの周辺にはヘルメットを着用し角材を手にした集団員が相当数居たと推測するに難くない。しかも、現場は劇場等の多数集つた大阪市内屈指の繁華街で時間的に見て相当数の群集も居たと思われる。さらに、付近のビルの明りやネオンサインによつて周辺はある程度明るかつたことがうかがわれるが(当審で取調べた阿見憲二作成の供述書参照)、それにしても夜のことである。してみると、阿見証人は②にいう相手の男を実際には見失いながら現に逮捕した被告人がその男に似ていたところから被告人をその男と誤つて思い込んでいるとの疑いを払拭し得ない。従つて、阿見証言に信用性のあることを前提とする検察官の所論部分は採用できない。

三、そこで、前記一に認定した事実関係のもとで犯罪の成否について考えてみるのに、その認定事実自体、特に、被告人はその多くがヘルメットを着用し角材を手にしなかには石塊を持つた者もいる中核派学生集団約二三〇名の隊列に加わり、自らも「中核」と書かれたヘルメットを被り、軍手をはめて角材を所持したこと、曾根崎警察署交差点での学生集団と機動隊との最初の攻防で崩れた学生集団とともに被告人も北へ逃げ、その後被告人は車道へは出なかつたけれども、「止まれ、止まれ」と叫ぶ集団員の声を聞き、かつ車道上にある集団員多数が隊列を整えようとしているのを見て、角材を手にしたまま引き返えし、歩道上を約四〇メートル南進したこと、その頃被告人は車道上の集団員が機動隊に規制されるのを見て、自らも逮捕の危険を感じて逃げたが、阪急百貨店納品場への通路内に逃げ込んだ時はもとより他の時点についてみても何時でも角材を捨てヘルメット、軍手を脱ぎ捨てる機会があつたのに、それをしないで、逮捕されるまでそれらの物を所持しまたは着用していたこと等の諸事実に徴すると、前記曾根崎警察署前交差点における最初の攻防自体もともと被告人の予想を越えたものとは認め難く、ひいて他の集団員多数が角材を携え石塊を持つたのは予想される機動隊の阻止に対抗しこれに攻撃を加えるための兇器を準備したものであることを被告人自身少くとも自ら角材を受取り携えた時点において認識したものと認めざるを得ず、さらに自らもヘルメットを被り角材を携え集団に伍して梅田駅三番ホームを出発してからの叙上認定の被告人の行動全体は右認識のもとに機動隊への攻撃を意図する他の集団員に対しその気勢をそえる目的でなされたものと認定せざるを得ない(検察官の所論指摘の「事の成り行き如何によつては自ら角材を使用して警察官を殴つたり突いたりするかも知れないとの気持でこれを所持していた」旨の司法警察員および検察官の面前における被告人の供述は、被告人のした実際の行動に照らし、取調官からの理詰の追究に屈してやむなくされたとの疑いが濃く、到底信用し難いので、当裁判所は被告人には仮定的にもせよ自ら加害行為を実行する意図はなかつたものと判断する)。そして、刑法二〇八条の二第一項所定の兇器準備集合罪が公共危険罪的性質をも具有するものであることにかんがみるとき、被告人が、叙上認定のとおり、前記認識のもとに共同加害の目的を持つ集団員多数の参集した集団にその気勢をそえる目的で加わつた以上、これをもつて同条項にいう「共同して害を加うる目的」をもつて集合した場合にあたると解するのが相当である。してみると、原判決が被告人には右集団に気勢をそえるつもりすらなかつたとの事実判断のもとに共同加害の目的の存在を認め難いとして無罪の言渡をしたのは事実を誤認したものというのほかなく、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄を免れない。検察官の論旨は結局理由がある。

四、以上の次第で、本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、 三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条ただし書に従いさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四三年一〇月二一日、国際反戦統一行動の一環として大阪総評またはべ平連主催の集会および集団示威行進が行なわれるのに参加するつもりで、午後六時頃大阪市北区角田町京阪神急行電鉄梅田駅に赴いたところ、たまたま全学連中核派に属する学生約二三〇名が同駅三番ホームに参集しているのに出会い、それらの学生が当日の集団示威行進の警備に出動する大阪府警察機動隊所属の警察官の身体に対し共同して害を加うる目的で角材約二〇〇本、石塊多数を携帯準備して集合しているものであることを知りながら、午後六時四〇分頃右学生らに気勢をそえる目的で自ら角材一本(約四センチメートル、角、長さ約一五メートル)を所持して右学生集団に加わり、もつて兇器を準備して集合したものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

当裁判所の認定した事実に法令を適用するのに、被告人の所為は刑法二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項に該当するところ、被告人が右所為に及んだ動機、いきさつ、実際の行動等諸般の情状を考慮して所定刑中罰金刑を選択したうえ被告人を罰金三千円に処し、かつ刑法一八条、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(河村澄夫 滝川春雄 村上保之助)

《参考 第一審判決》

(大阪地裁昭和四三年(わ)第三三九八号、凶器準備集合被告事件、同四五年二月二八日第一刑事部判決)

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四三年一〇月二一日、一〇・二一国際反戦統一行動の一環として大阪総評等主催の集会及び集団示威行進が行なわれる機会を利用して、同日午後六時四〇分頃、学生約二三〇名と共に、大阪市北区角田町京阪神急行電鉄株式会社梅田駅構内に集合した際、同所において、右集団示威行進の警備に出動する大阪府警察本部警備部隊の警察官の身体に対し共同して害を加える目的をもつて、多数の学生とともに角材(長さ約一メートル五〇センチ、四センチ角)約二〇〇本、投石用の多数の石塊等を携帯準備し、もつて兇器を準備して集合したものである。」というにある。

よつて審理するに、<証拠>によれば、被告人が扇町公園の集会に参加すべく公訴事実記載の日時に同記載の場所に単身到着した際、同所には約一二〇名の学生がヘルメットを着用する等デモ行進を行う態勢で集合しており、被告人はこの学生集団に随行すれば扇町公園に行けるものと考え、右集団の周辺にあつてその様子をみているうち、新たに同所へ到着した学生集団約一一〇名が合流したこともあつて、被告人も右学生集団合計約二三〇名中に参加するかたちとなり、間もなく、前部に「中核」後部は「全学連」と記載のある白ヘルメットが順送りされて来たので被告人も他の多数学生同様これを着用し、次いて右集団中の一人の学生から角材(長さ約一メートル五〇センチ、四センチ角)一本を手渡されたのに対し、一旦断つたものの、「一応持つだけ持つて行つてくれ、向うに行つたら渡してくれたらよい」と言われ、断り切れず、結局右角材一本と軍手一双を受け取りこれを所持するに至り、右学生集団中の学生数名が同駅三番ホーム線路上に降りて石塊を拾い集めた後、右学生集団約二三〇名が四列縦隊となつて同駅正面出入口東寄出入口から駅構外に出て、三和銀行と池田銀行の間の歩道の安全柵を乗り越えて曾根崎警察署前交差点車道上に飛び出し同所に待機中の大阪府警察機動隊に対し投石を加え角材を振つた際、被告人は、右隊列の前から三分の二位の位置にあつて、自らが安全柵を乗り越えた車道内に出て数歩前進したが、右機動隊が規制を開始したので右車道上を北に逃げ、航空ビルへの横断歩道の所からは西側歩道上をさらに北へ逃げ、機動隊の右規制により四散した学生集団が再度隊列を整え機動隊に立ち向うのをみるや、一旦右横断歩道付近まで歩道上を南へ戻つた後再び同歩道上を多数の学生とともに北へ逃げ、一〇名位の学生とともに阪急百貨店納品場入口を西へ入つたが同所に立入禁止の表示があつたので引き返し、右歩道上をさらに北へ逃げたが国鉄大阪環状線ガード下付近歩道上で転倒したため、同所において、追跡して来た警察官に逮捕された。右逮捕の時まで角材を所持していた事実はこれを認めることができる。

そこで右に認定した被告人の行動の際における被告人の共同加害の目的の有無について検討してみるに、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一〇月二二日付、同月二七日付各供述調書および被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、昭和四一年四月立命館大学に入学し、その年一年間経済学部自治会執行委員を勤めたこともあり政治に対して積極的な関心を有していたが、学生運動のあり方についてはその観念性にあきたりなさを感じその後は自治会執行委員に立候補することもなく従つて特定党派に属することもなく、本件当時においては中核派等の過激な行動には批判的な考え方を有し、べ平連に代表される反戦市民運動に興味と親近感を抱くに至つており、昭和四三年一〇月二一日の国際反戦デーに大阪扇町公園で集会が行なわれることを知つた際も学生グループと行動を共にする気はなく、べ平連等の市民グループに加わるべく先に認定のとおり単身阪急梅田駅に至つたが、同駅から扇町公園に至る道に不案内のため(被告人は京都の学生であり大阪の地理に暗く、同月八日一度扇町公園の集会に参加しているがこの時は他の参加者と共に集団行動をとつて扇町公園に至つたというのであるから、扇町公園に至る道に不案内であつたという被告人の供述は充分信用できる)折りから同駅構内に集合していた中核派学生集団に随行すれば同公園に行けると考えその場にいるうち右学生集団に参加したかたちとなり、順送りされてきたヘルメットを一個着用し、角材の携行を求められたのに対し断り切れずやむなくこれを所持するに至つたのであつて、結局被告人は当日中核派等学生集団の過激行動には批判的否定的であつてこれに気勢をそえるつもりすらなかつたのであり、被告人が右学生集団に加わるかたちとなつたのはあくまでも扇町公園に至るための便宜的なものであると認めることができ、右の事実を考慮すると、被告人が角材を所持した事実、および他の多数の学生と共に安全柵を乗り越えて車道上に飛び出した事実をもつて直ちに阪急梅田駅構内集合時被告人は警察官に対する共同加害の目的を有していたと推認することは到底許されない。ところで、証人阿見憲二は当公判廷において、被告人が機動隊に対して角材を振つているのを目撃した旨証言するのが、仮にこれが事実であれば遡つて集合時における右共同加害の目的の推認はかなり容易になるものと考えられるので右証言の信用性についてみるに、阿見証人が同人等に対し角材を振つた男は被告人であることに間違いないと考える根拠はその男が覆面をしていない背の低い小肥りの男であつたということ、そして同人等に角材を振つた学生中覆面をしていなかつた男は同証人の目撃した限りにおいては唯一人であつたということの二点にある。しかし被告人の当公判廷における供述によれば当日覆面をしていない学生はいくらもいたというし、学生達の服装は皆よく似ていたというのであるから、阿見証人等に角材を振つたという学生は、被告人も含めた一〇名位の学生と共に一旦阪急百貨店納品場入口を西へ入つたため、阿見証人の視野からはずれ、再び右学生等が歩道上へ出て来た時、被告人を先に角材を振つた学生であると誤認した可能性が強い(阿見証人がその供述において右納品場入口の存在について一言も触れていないのは司法警察員西山正一作成の事実確認捜査復命書の存在を併せ考えるといささか奇異である)のであり、この点に関する阿見証人の供述は信用できず、これに対し被告人が終始一貫して警察官に対して角材を振つた事実はないと供述していることを考えると、被告人は警察官に対して角材を振つていないものと判断するのが正当であり、この点を根拠とする共同加害の目的の推認はその前提たる事実を欠くことになる。してみると被告人の司法警察員に対する各供述調書中、被告人が阪急梅田駅に到着した際同所に集合していた学生集団に警察官に対する共同加害の目的のあることを被告人において認識し、かつ被告人自身も右共同加害の目的をもつてその集団に参加した趣旨やに解せられる記載部分はこれを容易に措信し難いといわねばならない。

以上の次第で、被告人には駅構内集合時はもとより、安全柵を乗り越えた時にも共同加害の目的を有していたとは認め難く、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(戸田勝 宮嶋英世 島敏男)

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